彼に流れる血は、きっとピンク色をしたスパークリングワインみたいな味がする。
暗がりの中、シーツの衣擦れの音がする。無造作にベッドから落ちた腕。ダウンライトで、薬指の指輪が鈍く光った。
ぼんやりと眺めて、彼の指に自分の指を絡める。
いっそ、彼の薬指を切ってしまおうか。
そう考えて、けれど手を離した。
彼の首筋に赤い花びらだけ散らせて、少女は笑った。
***
『東京都の自殺者数が先週1週間で1,091人と、平均を大きく上回りました』
外は、五月雨。
テレビから聞こえてくるニュースは、サイアク。
その上塗りをするようにして。
「―――はぁ?」
声が、微妙に裏返った。
おねーちゃん、葛城茉莉(かつらぎまつり)。今日は黒地に魚の柄の単衣を着ている。紬の名古屋帯は白地に橙色の花が描かれている。髪は後ろで4つ、おだんごを作っていた。後れ毛がカワイイ。
「美遊(みゆう)が、蝶が見えるようになったことを、お祖母様にご報告したの」
笑顔のままのおっとりとした口調に、逆に威圧されるのはなぜ……??
耳もとから5センチくらい離れて、蝶が飛んでいる。正確には蝶ではなく、生物としての蝶ではない。紋白蝶や揚羽蝶のように、図鑑には載っていない。触角もなく、繊毛もない。蝶の形をしている、透き通った飴細工のようにも見える存在。
あたしの蝶は、雪原に月が映えたような銀色の羽根に、うすい虹色の曲線が描かれている。おねーちゃんの蝶は、透き通った紫色。霧のようにうすい水色の小さな点が散っている。あたしだけの特別な存在なんじゃなくて、1人に1羽ずつ、見守るようにそばにいる。
「本家に戻って、『蝶』の護り方を教えるわ。あなたの安全の確保もしなくてはいけないし」
華奢な造作のように見える紫色の蝶が、おねーちゃんの肩に止まって羽を広げる。きゃらきゃらと音がした。
蝶を狩られてしまうと、その人間は絶望してしまうのだという。それを護れ、と言われたのはつい昨日のことだったりする。
状況なんて把握してるワケがないし、ましてや蝶自体のこともわかっていない。
ふと、執事(バトラー)のことが頭に浮かんだ。ずっと一緒にいてくれた親戚、宮本麻尋のこと。あたしの一番スキな男。
「おねーちゃんは一緒に来てくれるの? それに、執事は?」
おねーちゃんは目を合わせないまま、後れ毛に指を絡ませた。
「そのことだけれど」
「まさか、執事のことは諦めろなんてキモイこと言わないよね?」
おねーちゃんはしばらく無言だった。
この場合の無言が何を意味してるのか、わからないほどボケてはいない。
「あの、まさか」
おねーちゃんは一見うららかな微笑みをたたえたまま、こくりと深々、うなずいた。
手にしていたリモコンをガラステーブルに音を立てて置くと、あたしはガッツリ立ち上がった。
「ちょっと待ってよ! だって、あたしまだ土師武流(はぜたける)との婚約とか、ゼンゼン納得してないんだけど!?」
「仕方がないでしょう。あなたは内侍(ないしのかみ)の生まれ変わりなんですもの。桓武天皇とついうっかり、約束してしまったのは、わたしの責任ではないから仕方ないわ。『生まれ変わったら一緒になりましょう』なんて、わたしなら言えないもの」
1,200年前のことでグタグタ言われても。
しかも、ついうっかりって何。ついうっかりって。
大体、記憶なんぞ小さいころ見てたアニメ・ドラゴンボール最終回のタイトルをすっかり忘れてるくらいに皆無なんですけど。
「恨むならわたしじゃなくて、前世の自分に一言おっしゃいね」
「そんなの知らないよ! タダでさえ、ワケわかんないんだけど! 蝶って何なの、今更何で蝶を護らなくちゃいけないの!」
「だから、一緒に帰りましょうね。本家に」
キーンと音を立てて、頭の中のスイッチがコリン星のはるか彼方に飛んでいった。
ソファからおもむろに立ち上がると、あたしの蝶が少しビクリと身動きした。繊細な蝶には、相方(といっていいのかどうかわからないけど)の気分が逐一通じるらしい。
「あら、もうすぐゆず茶が入るわよ」
ちょうどケトルが甲高い音を立てた。
鼻息で返し、おねーちゃんを無視して、自分の部屋に戻った。ドアを閉め、荷物を大き目のトートバッグに詰め込む。携帯を手にしっかりと持つと、廊下を歩き出した。
「美遊(みゆう)、もう10時よ? どこに行くの」
「……おねーちゃんのカバwwwwwwッ!」
「あら。もっと語彙を増やしなさいな」
傘を手にすると玄関のドアを思いっきり音を立てて閉めた。
当てがあるワケじゃないんだけど、なんか余計なことまで指摘されちゃったし、もうムカムカが収まらないし。どうせバカだしチビですよ! くっそう、大体1,200年前の約束(ネタ)なんていくらなんでももう時効でしょ!

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暗がりの中、シーツの衣擦れの音がする。無造作にベッドから落ちた腕。ダウンライトで、薬指の指輪が鈍く光った。
ぼんやりと眺めて、彼の指に自分の指を絡める。
いっそ、彼の薬指を切ってしまおうか。
そう考えて、けれど手を離した。
彼の首筋に赤い花びらだけ散らせて、少女は笑った。
***
『東京都の自殺者数が先週1週間で1,091人と、平均を大きく上回りました』
外は、五月雨。
テレビから聞こえてくるニュースは、サイアク。
その上塗りをするようにして。
「―――はぁ?」
声が、微妙に裏返った。
おねーちゃん、葛城茉莉(かつらぎまつり)。今日は黒地に魚の柄の単衣を着ている。紬の名古屋帯は白地に橙色の花が描かれている。髪は後ろで4つ、おだんごを作っていた。後れ毛がカワイイ。
「美遊(みゆう)が、蝶が見えるようになったことを、お祖母様にご報告したの」
笑顔のままのおっとりとした口調に、逆に威圧されるのはなぜ……??
耳もとから5センチくらい離れて、蝶が飛んでいる。正確には蝶ではなく、生物としての蝶ではない。紋白蝶や揚羽蝶のように、図鑑には載っていない。触角もなく、繊毛もない。蝶の形をしている、透き通った飴細工のようにも見える存在。
あたしの蝶は、雪原に月が映えたような銀色の羽根に、うすい虹色の曲線が描かれている。おねーちゃんの蝶は、透き通った紫色。霧のようにうすい水色の小さな点が散っている。あたしだけの特別な存在なんじゃなくて、1人に1羽ずつ、見守るようにそばにいる。
「本家に戻って、『蝶』の護り方を教えるわ。あなたの安全の確保もしなくてはいけないし」
華奢な造作のように見える紫色の蝶が、おねーちゃんの肩に止まって羽を広げる。きゃらきゃらと音がした。
蝶を狩られてしまうと、その人間は絶望してしまうのだという。それを護れ、と言われたのはつい昨日のことだったりする。
状況なんて把握してるワケがないし、ましてや蝶自体のこともわかっていない。
ふと、執事(バトラー)のことが頭に浮かんだ。ずっと一緒にいてくれた親戚、宮本麻尋のこと。あたしの一番スキな男。
「おねーちゃんは一緒に来てくれるの? それに、執事は?」
おねーちゃんは目を合わせないまま、後れ毛に指を絡ませた。
「そのことだけれど」
「まさか、執事のことは諦めろなんてキモイこと言わないよね?」
おねーちゃんはしばらく無言だった。
この場合の無言が何を意味してるのか、わからないほどボケてはいない。
「あの、まさか」
おねーちゃんは一見うららかな微笑みをたたえたまま、こくりと深々、うなずいた。
手にしていたリモコンをガラステーブルに音を立てて置くと、あたしはガッツリ立ち上がった。
「ちょっと待ってよ! だって、あたしまだ土師武流(はぜたける)との婚約とか、ゼンゼン納得してないんだけど!?」
「仕方がないでしょう。あなたは内侍(ないしのかみ)の生まれ変わりなんですもの。桓武天皇とついうっかり、約束してしまったのは、わたしの責任ではないから仕方ないわ。『生まれ変わったら一緒になりましょう』なんて、わたしなら言えないもの」
1,200年前のことでグタグタ言われても。
しかも、ついうっかりって何。ついうっかりって。
大体、記憶なんぞ小さいころ見てたアニメ・ドラゴンボール最終回のタイトルをすっかり忘れてるくらいに皆無なんですけど。
「恨むならわたしじゃなくて、前世の自分に一言おっしゃいね」
「そんなの知らないよ! タダでさえ、ワケわかんないんだけど! 蝶って何なの、今更何で蝶を護らなくちゃいけないの!」
「だから、一緒に帰りましょうね。本家に」
キーンと音を立てて、頭の中のスイッチがコリン星のはるか彼方に飛んでいった。
ソファからおもむろに立ち上がると、あたしの蝶が少しビクリと身動きした。繊細な蝶には、相方(といっていいのかどうかわからないけど)の気分が逐一通じるらしい。
「あら、もうすぐゆず茶が入るわよ」
ちょうどケトルが甲高い音を立てた。
鼻息で返し、おねーちゃんを無視して、自分の部屋に戻った。ドアを閉め、荷物を大き目のトートバッグに詰め込む。携帯を手にしっかりと持つと、廊下を歩き出した。
「美遊(みゆう)、もう10時よ? どこに行くの」
「……おねーちゃんのカバwwwwwwッ!」
「あら。もっと語彙を増やしなさいな」
傘を手にすると玄関のドアを思いっきり音を立てて閉めた。
当てがあるワケじゃないんだけど、なんか余計なことまで指摘されちゃったし、もうムカムカが収まらないし。どうせバカだしチビですよ! くっそう、大体1,200年前の約束(ネタ)なんていくらなんでももう時効でしょ!

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虚言日置〈キョゲンヘキ〉
Act.0 「不器用《これ以上変わる気はないよ》」
「不器用だからゴメン」
何度そう聞いたかな。
もう思い出せないけど。
たとえば、電話や会ってるときの戯言。
「好きとか、あんまり言えなくてゴメン」
そう言ってくれるのは、好きでした。
なんかうれしかった。
不器用って言葉は、そのまま現在の自分を肯定していた。
決して、それ以上良くなることはなかった。
そんなところもひっくるめて、彼のことを好きだとは思えたけど。
ただ、問題が一つ。
それだけは、あたしにとってシビアで、どうしようもなかった。
その問題は、いまは伏せておこうと思う。
今はもう彼と一緒にいることはない。
時々、ぼんやり思い出す。
彼とあたしの話。
これから、すこしだけ、紡いでいこうと思う。
Act.0 「不器用《これ以上変わる気はないよ》」
「不器用だからゴメン」
何度そう聞いたかな。
もう思い出せないけど。
たとえば、電話や会ってるときの戯言。
「好きとか、あんまり言えなくてゴメン」
そう言ってくれるのは、好きでした。
なんかうれしかった。
不器用って言葉は、そのまま現在の自分を肯定していた。
決して、それ以上良くなることはなかった。
そんなところもひっくるめて、彼のことを好きだとは思えたけど。
ただ、問題が一つ。
それだけは、あたしにとってシビアで、どうしようもなかった。
その問題は、いまは伏せておこうと思う。
今はもう彼と一緒にいることはない。
時々、ぼんやり思い出す。
彼とあたしの話。
これから、すこしだけ、紡いでいこうと思う。
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