第2回 たとえばありふれた、空の青い日。-PartB-
私立平安学園。
都内港区にある共学制の高校。中等部、高等部があり、高等部はさらに普通科と特進科に分かれてる。あたしは普通科でのんびりと学生生活を満喫中。特進科は勉強が大変らしいけど。
校門には文化祭用の門が立っていた。二本の四角柱にペイントされているのは、源氏物語絵巻の模写だった。スカートの下にジャージを着ている女子や、Tシャツ姿の生徒が、出番ギリギリまで舞台用の大道具を作ってる。
「演劇、私も観に行くから」
門の前で車を止めて、おねーちゃんは微笑む。おねーちゃんに気がつくと、みんなコソコソ隣の友達に耳打ちしたり、男のコたちは口笛を吹いたりする。妹のあたしから見たって、おねーちゃんはカワイイ。着物だって着慣れてるし、化粧っけのない肌もキレイだし、おだやかに微笑まれるとついこっちまで笑い返したくなるようなタイプなんだ。
「えー来なくていいよ。仕事あるんでしょ」
「大丈夫。せっかく十二単着るんでしょう? 頑張ってらっしゃいね、『若紫』」
「どうせチビっコだもん! ―――送ってくれてありがと、おねーちゃん!」
大きく手を振ると、おねーちゃんはハンドルに腕を乗せて小さく手を振っていた。
腕時計は8時45分を指している。
カギがしまってるかなと思いながら教室の扉に手をかけた。室内から誰かの声が聞こえる。くすくすと笑う少女と、低い少年の声。かまわず教室のドアを開けた。
「げ」
思わず、先に声が出てしまった。
土師武流(はぜたける)は机に座っていた。
鴉みたいな漆黒のすこし長めの髪、ビー玉みたいに邪気無く輝く大きな目。学ランを着ていても体つきがほっそりしているのがわかる。
立っている特進科の女のコを抱き寄せて、その胸に顔をうずめている。
武流の手は彼女のスカートから顕わになった太ももに張りついている。もう一方は、彼女の背中に回され、セーラー服の下、その白い肌にふれている。
刹那の後、女子はようやく我に返り、きゃっとか悲鳴を上げた。武流は何がおかしいのか、あたしに向かってニヤリと笑ってみせた。
あたしは、ようやく目の前の光景を理解して、顔が急激に熱くなるのを感じた。鞄を投げ出すようにして机に置くと、大きな音を立ててドアを閉め、駆けだした。
(だって! え? ちょっと! アレ何!)
思考回路はぐちゃぐちゃ、カオス的スパイラルに突入中。
すでに一般客が入っている校舎は、私服姿の人々、生徒たちでごった返している。
親友の理名があたしに気づいて手を振る。山田理名は肩まで伸びた髪の毛をさらさらと揺らし、好奇心いっぱいな黒い大きな目を見開いた。藁にもすがる勢いで理名に抱きつく。
「美遊、どしたの?」
「は、土師が特進科の女のコとイチャついてた!」
「あー、土師くんかぁ……」
土師武流の女子評価は二分されてる。愛嬌があるからスキよっていう人と、女たらしなのがイヤだとか。成績だけ見れば特進科にいてもおかしくない彼が普通科にいるのは、彼の日頃の行いが悪いせいだって、みんな知ってる。
理名が耳元でささやく。
「でもね、あのヒト、よく美遊のこと見てるんだよ」
意外な言葉に眉をひそめる。クラスメートだけど、ろくに話をしたこともないし、ぶっちゃけ眼中になかったし。
「あたし、あのヒトから話しかけられたことないよ??」
「ううん。よく見てるよー」
うなじを手のひらで包み込んで、小首をかしげる。しばった髪の毛が揺れた。
「絶対、土師クンて美遊がスキなんだよ」
自信満々であたしを指さす理名を、怪訝そうな目で見やる。
「あのヒト、このガッコの何人とヤってるかわかんないよ? それに、あたしは執事がスキだもん」
「あー、そだよね☆」
理名はつまらなそうにため息をついた。
午前10時。
役者たちはステージ脇に待機していた。
演目は源氏物語のパロディ、『平安オペレッタ』。あたしは小柄なので『若紫』を演じる。他にも『桐壷』だの、『葵の上』だの『六条御息所』だのといった女性キャストや、『光源氏』、『薫』、『匂宮』といった男性キャストが泥沼かつコミカルな恋模様を描くというイロイロ破綻が目立つストーリー。
あたしの十二単の襲色目は紅梅に紫。コドモでも乗せてるみたいな重たさ。肩は凝るし、この時期には熱い。なのに、凜としたキモチになる。
光源氏役の坂上真琴が傍らに立つ。ショートカットで長身の彼女は、束帯がよく似合っていた。もともと彼女はオペラ部(女子からはヅカ部と呼ばれてる)に所属、男役で一番人気がある花形スタァ☆なんだ。
「カッコいいね。真琴サン」
「当たり前だろ。あたし、光源氏にも負けないテクはあるよ?」
このヒトが言うと冗談に聞こえない。
『次のプログラムは、2年1組、2組、3組によります、“平安オペレッタ”です』
司会者の声に、あたしたちは唇を引き結んだ。
ステージはキラキラ光る。まるで恒星の大地に足を踏み入れるように、恍惚となる。床が真っ白な光を反射して目がくらんだ。張り詰めたような空気、背筋を伸ばした。
顔を上げてセリフを言おうとして、その光景に目を疑った。
目の前に広がるヒトの群れ。
そしてそれにまとわりつくように存在する、蝶の集団。
黒、青、緑、赤、灰―――様々な色の羽根が揺れる。
隣を見れば、真琴の傍にも蝶がいる。
クラスメートたちの傍にも。そして、あたしにも蝶がいた。
聞こえてくる羽音。きゃらきゃらきゃらきゃら、それは大きな音。
目の前一面に広がる蝶の海。
「……おい? 美遊」
真琴が気遣わしげに声をかける。けれど、それはあたしの耳を素通りした。頭の中に、すさまじい情報量が流れ込んでくる。通り抜けていくだけで、その記録をきちんと見ることはできない。
蝶がたゆたう。鮮血が飛び散る。バスタブの中でぶくぶく息をする子供。眼鏡をかけた男の美しい手。叫び声。恨み言。ぐったりとして動かなくなった誰かの体。白装束の骸骨、そして、―――いつか昔、野原で出会った男。
―――ナイシノカミ、と、彼はささやく。
まぶたが重たい。呼びかけられた声が聞こえたような気がして、目をなんとか押し開ける。
そこには、おねーちゃんの顔があった。
「おねー…ちゃん?」
保健室のベッドに寝かされて、いつのまにかジャージに着替えさせられていた。枕元には蝶がいる。銀色の蝶。オパールみたいな虹色の模様がある。おねーちゃんの傍にも蝶がいた。紫色の蝶だ。
「大丈夫? 美遊、倒れたのよ」
言葉が一瞬、理解できなかった。おねーちゃんの言葉は、まるで遠い世界から聞こえてくる言葉みたいだ。
ケータイのバイブ音が聞こえた。おねーちゃんがバッグからケータイを取り出す。
「麻尋サンだわ。すぐ戻ってくるから、少しだけ待っててね」
言い置いて、おねーちゃんは保健室から出て行った。
もう一度、目を閉じる。執事、仕事中に呼ばれちゃったのか。悪いことしちゃったな。
蝶自体に対する恐怖心は、薄れてきていた。さっきから見ていると、悪いことをするように思えないし。
ふと、何か呟いているのが聞こえてきた。何を言っているのか聞こえないほど小さな声。隣のベッドをカーテンの隙間から伺ってみると、中には男のコがいた。
彼には、蝶がいなかった。
(あ、なんだ。やっぱり蝶の大量発生とかなのかも)
ほっとして、そのまままどろんでいると、男のコがベッドから下り、保健室から出て行った。その時の彼の顔に、怖気だった。昼間だというのに目に光がなく、カサカサになった唇が無造作に動いていた。
気になって、ベッドから下りる。保健室の扉をそっと開けて、見れば、男のコが廊下をよろめきながら歩いている。
「何をしてるんです」
後ろから急に声をかけられて、声を上げそうになったのを必死で抑える。振り返ると執事がいた。やはり、執事にも蝶がいた。真っ黒な蝶。鱗粉だけが黄金色に光っている。
「ほら、早くしないと見失いますよ」
気を取り直し、彼を追った。階段を上り、屋上のドアを開ける。何をするつもりなのだろうと思ったら、手すりに足をかけ始めた。手すりを越えれば5階から1階に真っ逆さまだ。
「って、え! ちょっと!」
彼の腕をとらえようとすると、彼は物凄い力で振り払った。助けを求めて執事を見ると、のんびりとドアにもたれかかっている。
「執事、ちょっと助けてくれてもいいんじゃないの!?」
「私が手を出すのは、恐れ多い」
思わず、執事を見た。彼は煙草に火をつけ、真っ白な煙を美味しそうにふかした。
「ナイシノカミ!」
誰かが疾風みたいにあたしの傍を駆け抜けて、男のコの胸ぐらを掴むと頭突きをした。男のコはその場に崩れ落ちる。
「蝶が狩られてるじゃん。多くなってきてるなー」
土師武流だった。後から、おねーちゃんもおっとりとした足取りでやって来た。
「武流様、ご無事でいらっしゃいますか」
「ああ」
あの。なんでここに土師が? てか、なんでおねーちゃんのこと呼び捨て??
「美遊、あなた蝶が見えるようになったのね」
おねーちゃんがにっこりと笑う。
「あなたの力は『蝶を護る者』―――平安時代から続いてきた、桓武天皇を護り、人々の平穏を護るための力なのよ。あなたの使命は蝶を狩られたヒトたちを護ること。蝶の見えないヒトは、『蝶を狩る者』に蝶を奪われているの。奪われると、このセカイにも、自分にも絶望してしまうんですって」
「ちょ、ちょっと待って! 何言ってるのか……サッパリ」
「そうね。つまり、彼、あなたの婚約者なの」
一瞬、耳を疑った。思わず顔を歪める。
「俺が桓武の直系だからねー。先祖同士が決めてた約束らしいよ」
そんな、軽いカンジで言われても。しかも今から1200年前のネタを、今更持ち出されても。
「あの。ナイシノカミって何?」
「君の先祖の役職の名前」
武流があんまり普通に言うから、本当に頭がくらくらしてきた。
「土師クンだってヤでしょ!? あたしとなんて、ほとんど話したこともないのに!」
「イヤ、別にアリだけど」
執事が吹き出して笑う。いや、これって吹き出してまで笑える所なんですか? てか、あたしがスキなのはアナタなんですけど!
ムカついて、拳を震わせながら叫んだ。
「こんなの、ゼッタイ認めないんだからッ!」
ダッシュして屋上から逃げ出した。
背後から執事の押し殺したような笑い声が聞こえた。
なんであんなサイテイ男をスキになっちゃったんだろうorz
階段を下りながら傍らを見ると、蝶がゆらゆらと飛んでいた。どこか気遣わしげに見えるその仕草に、少しカワイイかもとか思ったりするけど―――そっぽを向いてやった。

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私立平安学園。
都内港区にある共学制の高校。中等部、高等部があり、高等部はさらに普通科と特進科に分かれてる。あたしは普通科でのんびりと学生生活を満喫中。特進科は勉強が大変らしいけど。
校門には文化祭用の門が立っていた。二本の四角柱にペイントされているのは、源氏物語絵巻の模写だった。スカートの下にジャージを着ている女子や、Tシャツ姿の生徒が、出番ギリギリまで舞台用の大道具を作ってる。
「演劇、私も観に行くから」
門の前で車を止めて、おねーちゃんは微笑む。おねーちゃんに気がつくと、みんなコソコソ隣の友達に耳打ちしたり、男のコたちは口笛を吹いたりする。妹のあたしから見たって、おねーちゃんはカワイイ。着物だって着慣れてるし、化粧っけのない肌もキレイだし、おだやかに微笑まれるとついこっちまで笑い返したくなるようなタイプなんだ。
「えー来なくていいよ。仕事あるんでしょ」
「大丈夫。せっかく十二単着るんでしょう? 頑張ってらっしゃいね、『若紫』」
「どうせチビっコだもん! ―――送ってくれてありがと、おねーちゃん!」
大きく手を振ると、おねーちゃんはハンドルに腕を乗せて小さく手を振っていた。
腕時計は8時45分を指している。
カギがしまってるかなと思いながら教室の扉に手をかけた。室内から誰かの声が聞こえる。くすくすと笑う少女と、低い少年の声。かまわず教室のドアを開けた。
「げ」
思わず、先に声が出てしまった。
土師武流(はぜたける)は机に座っていた。
鴉みたいな漆黒のすこし長めの髪、ビー玉みたいに邪気無く輝く大きな目。学ランを着ていても体つきがほっそりしているのがわかる。
立っている特進科の女のコを抱き寄せて、その胸に顔をうずめている。
武流の手は彼女のスカートから顕わになった太ももに張りついている。もう一方は、彼女の背中に回され、セーラー服の下、その白い肌にふれている。
刹那の後、女子はようやく我に返り、きゃっとか悲鳴を上げた。武流は何がおかしいのか、あたしに向かってニヤリと笑ってみせた。
あたしは、ようやく目の前の光景を理解して、顔が急激に熱くなるのを感じた。鞄を投げ出すようにして机に置くと、大きな音を立ててドアを閉め、駆けだした。
(だって! え? ちょっと! アレ何!)
思考回路はぐちゃぐちゃ、カオス的スパイラルに突入中。
すでに一般客が入っている校舎は、私服姿の人々、生徒たちでごった返している。
親友の理名があたしに気づいて手を振る。山田理名は肩まで伸びた髪の毛をさらさらと揺らし、好奇心いっぱいな黒い大きな目を見開いた。藁にもすがる勢いで理名に抱きつく。
「美遊、どしたの?」
「は、土師が特進科の女のコとイチャついてた!」
「あー、土師くんかぁ……」
土師武流の女子評価は二分されてる。愛嬌があるからスキよっていう人と、女たらしなのがイヤだとか。成績だけ見れば特進科にいてもおかしくない彼が普通科にいるのは、彼の日頃の行いが悪いせいだって、みんな知ってる。
理名が耳元でささやく。
「でもね、あのヒト、よく美遊のこと見てるんだよ」
意外な言葉に眉をひそめる。クラスメートだけど、ろくに話をしたこともないし、ぶっちゃけ眼中になかったし。
「あたし、あのヒトから話しかけられたことないよ??」
「ううん。よく見てるよー」
うなじを手のひらで包み込んで、小首をかしげる。しばった髪の毛が揺れた。
「絶対、土師クンて美遊がスキなんだよ」
自信満々であたしを指さす理名を、怪訝そうな目で見やる。
「あのヒト、このガッコの何人とヤってるかわかんないよ? それに、あたしは執事がスキだもん」
「あー、そだよね☆」
理名はつまらなそうにため息をついた。
午前10時。
役者たちはステージ脇に待機していた。
演目は源氏物語のパロディ、『平安オペレッタ』。あたしは小柄なので『若紫』を演じる。他にも『桐壷』だの、『葵の上』だの『六条御息所』だのといった女性キャストや、『光源氏』、『薫』、『匂宮』といった男性キャストが泥沼かつコミカルな恋模様を描くというイロイロ破綻が目立つストーリー。
あたしの十二単の襲色目は紅梅に紫。コドモでも乗せてるみたいな重たさ。肩は凝るし、この時期には熱い。なのに、凜としたキモチになる。
光源氏役の坂上真琴が傍らに立つ。ショートカットで長身の彼女は、束帯がよく似合っていた。もともと彼女はオペラ部(女子からはヅカ部と呼ばれてる)に所属、男役で一番人気がある花形スタァ☆なんだ。
「カッコいいね。真琴サン」
「当たり前だろ。あたし、光源氏にも負けないテクはあるよ?」
このヒトが言うと冗談に聞こえない。
『次のプログラムは、2年1組、2組、3組によります、“平安オペレッタ”です』
司会者の声に、あたしたちは唇を引き結んだ。
ステージはキラキラ光る。まるで恒星の大地に足を踏み入れるように、恍惚となる。床が真っ白な光を反射して目がくらんだ。張り詰めたような空気、背筋を伸ばした。
顔を上げてセリフを言おうとして、その光景に目を疑った。
目の前に広がるヒトの群れ。
そしてそれにまとわりつくように存在する、蝶の集団。
黒、青、緑、赤、灰―――様々な色の羽根が揺れる。
隣を見れば、真琴の傍にも蝶がいる。
クラスメートたちの傍にも。そして、あたしにも蝶がいた。
聞こえてくる羽音。きゃらきゃらきゃらきゃら、それは大きな音。
目の前一面に広がる蝶の海。
「……おい? 美遊」
真琴が気遣わしげに声をかける。けれど、それはあたしの耳を素通りした。頭の中に、すさまじい情報量が流れ込んでくる。通り抜けていくだけで、その記録をきちんと見ることはできない。
蝶がたゆたう。鮮血が飛び散る。バスタブの中でぶくぶく息をする子供。眼鏡をかけた男の美しい手。叫び声。恨み言。ぐったりとして動かなくなった誰かの体。白装束の骸骨、そして、―――いつか昔、野原で出会った男。
―――ナイシノカミ、と、彼はささやく。
まぶたが重たい。呼びかけられた声が聞こえたような気がして、目をなんとか押し開ける。
そこには、おねーちゃんの顔があった。
「おねー…ちゃん?」
保健室のベッドに寝かされて、いつのまにかジャージに着替えさせられていた。枕元には蝶がいる。銀色の蝶。オパールみたいな虹色の模様がある。おねーちゃんの傍にも蝶がいた。紫色の蝶だ。
「大丈夫? 美遊、倒れたのよ」
言葉が一瞬、理解できなかった。おねーちゃんの言葉は、まるで遠い世界から聞こえてくる言葉みたいだ。
ケータイのバイブ音が聞こえた。おねーちゃんがバッグからケータイを取り出す。
「麻尋サンだわ。すぐ戻ってくるから、少しだけ待っててね」
言い置いて、おねーちゃんは保健室から出て行った。
もう一度、目を閉じる。執事、仕事中に呼ばれちゃったのか。悪いことしちゃったな。
蝶自体に対する恐怖心は、薄れてきていた。さっきから見ていると、悪いことをするように思えないし。
ふと、何か呟いているのが聞こえてきた。何を言っているのか聞こえないほど小さな声。隣のベッドをカーテンの隙間から伺ってみると、中には男のコがいた。
彼には、蝶がいなかった。
(あ、なんだ。やっぱり蝶の大量発生とかなのかも)
ほっとして、そのまままどろんでいると、男のコがベッドから下り、保健室から出て行った。その時の彼の顔に、怖気だった。昼間だというのに目に光がなく、カサカサになった唇が無造作に動いていた。
気になって、ベッドから下りる。保健室の扉をそっと開けて、見れば、男のコが廊下をよろめきながら歩いている。
「何をしてるんです」
後ろから急に声をかけられて、声を上げそうになったのを必死で抑える。振り返ると執事がいた。やはり、執事にも蝶がいた。真っ黒な蝶。鱗粉だけが黄金色に光っている。
「ほら、早くしないと見失いますよ」
気を取り直し、彼を追った。階段を上り、屋上のドアを開ける。何をするつもりなのだろうと思ったら、手すりに足をかけ始めた。手すりを越えれば5階から1階に真っ逆さまだ。
「って、え! ちょっと!」
彼の腕をとらえようとすると、彼は物凄い力で振り払った。助けを求めて執事を見ると、のんびりとドアにもたれかかっている。
「執事、ちょっと助けてくれてもいいんじゃないの!?」
「私が手を出すのは、恐れ多い」
思わず、執事を見た。彼は煙草に火をつけ、真っ白な煙を美味しそうにふかした。
「ナイシノカミ!」
誰かが疾風みたいにあたしの傍を駆け抜けて、男のコの胸ぐらを掴むと頭突きをした。男のコはその場に崩れ落ちる。
「蝶が狩られてるじゃん。多くなってきてるなー」
土師武流だった。後から、おねーちゃんもおっとりとした足取りでやって来た。
「武流様、ご無事でいらっしゃいますか」
「ああ」
あの。なんでここに土師が? てか、なんでおねーちゃんのこと呼び捨て??
「美遊、あなた蝶が見えるようになったのね」
おねーちゃんがにっこりと笑う。
「あなたの力は『蝶を護る者』―――平安時代から続いてきた、桓武天皇を護り、人々の平穏を護るための力なのよ。あなたの使命は蝶を狩られたヒトたちを護ること。蝶の見えないヒトは、『蝶を狩る者』に蝶を奪われているの。奪われると、このセカイにも、自分にも絶望してしまうんですって」
「ちょ、ちょっと待って! 何言ってるのか……サッパリ」
「そうね。つまり、彼、あなたの婚約者なの」
一瞬、耳を疑った。思わず顔を歪める。
「俺が桓武の直系だからねー。先祖同士が決めてた約束らしいよ」
そんな、軽いカンジで言われても。しかも今から1200年前のネタを、今更持ち出されても。
「あの。ナイシノカミって何?」
「君の先祖の役職の名前」
武流があんまり普通に言うから、本当に頭がくらくらしてきた。
「土師クンだってヤでしょ!? あたしとなんて、ほとんど話したこともないのに!」
「イヤ、別にアリだけど」
執事が吹き出して笑う。いや、これって吹き出してまで笑える所なんですか? てか、あたしがスキなのはアナタなんですけど!
ムカついて、拳を震わせながら叫んだ。
「こんなの、ゼッタイ認めないんだからッ!」
ダッシュして屋上から逃げ出した。
背後から執事の押し殺したような笑い声が聞こえた。
なんであんなサイテイ男をスキになっちゃったんだろうorz
階段を下りながら傍らを見ると、蝶がゆらゆらと飛んでいた。どこか気遣わしげに見えるその仕草に、少しカワイイかもとか思ったりするけど―――そっぽを向いてやった。

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