第4話 誰かの物語《ハナシ》-PartB-
五月雨の季節には、お気に入りの若紫の蛇の目傘を使う。
傘の下で、天から落ちてくる水の珠を覗き見るのは、すごくキモチイイ。
青々とした緑がぼんやり、夜の明かりにけぶっている。木々が雨を浴びて大きく伸びをしている姿を見るのも、たまらなく背筋がぞくりとする。
駅に近づくにつれて、行き交う人々も増えていく。
ちらりと横を見やれば、隣を歩いている背広姿の男は黄色の蝶。同じ高校の制服を着ている少女は萌葱色の蝶。
羽の模様や色形が少しずつ違うのだけど、揚羽蝶に一番よく似ている。
模様や色だけが確実に違うみたい。
携帯で理名に電話してみたけど、出てくれなかった。今頃、彼女は楽しくアニメを見てる時間だろうし。そんなときは電話なんぞ出てくれやしないんだもん(しかも今日は彼女の大好きなケロロの日)。
人通りの少ない、公園の前を通りかかった。
消えかかっている蛍光灯。
軋む。
ギリギリとした圧迫感。
耳が痛くて、思わず耳に手を当ててふさぐ。
痛みに、指に力が入る。
食い込んだ爪のギリギリとした感触に、ようやく自分を保てる。
蝶があたしの顔の前で飛ぶ。
まるで守ろうとしてくれてるみたい。
(華奢なくせに、アンタじゃあたしを護れないよ)
にゅるり。
木々の影から、白い手が出てきた。血管が青く浮きだっている。
爪には固化した血の黒と泥が食い込んで、髪の毛が数本、指にもつれていた。
声が上げられず、ただ呆然とそれを見つめる。
傘が足元に落ちた。水がはねる。
手が伸び、首筋をとらえる。
指に入った力は、強いなんて感じる暇もなくただ熱かった。ふれられているところが火傷しているようで、骨がきしむ音が聞こえるような気がした。咳き込んでいつのまにか涙が出る。雨が顔にぶつかるように落ちてくる。いっそう強くなる雨は、まるであたしを敵視しているみたいだ。
その時。
蝶が銀色の光を撒いた。
目が眩むような光になって輝く。思わず、強く目を瞑った。
気を失いそうになった瞬間、鈴が鳴るような笑い声が聞こえた。子供の声。
―――私の名前を、忘れているようだね
耳ではない。頭に、直接響いてくる音ではない振動。
気が狂いそう。頭がズキズキする。
―――近いうちに、私の『手』がお前に呪いの印をつけるだろうよ
(誰か……!)
「美遊!」
武流の声がした。
パン!
小気味いい音がした。鎖が弾けたような、さばさばとした音。
途端に体から圧迫感がなくなった。ゆっくりと目を見開くと、手はなくなっていた。あたしはようやく、自分が武流の腕の中にいることに気がついた。
「ちょ!」
武流を突き飛ばすと、思った以上に飛んだ。
「あちゃ」
蝶がやさしくあたしの手の甲にとまる。
冷汗が首筋を伝って、鎖骨のあたりにまで流れていた。
バッグから手鏡を取り出し、ハンカチで汗をぬぐおうとして、気がついた。
首が真っ赤に腫れ上がっていた。
背筋がぞくりとした。
あれは夢じゃないし幻覚でもない。
本当に、殺されかけた。
「なんで」
声を出すと、喉が痛い。
「あ、うん。茉莉に聞いたんだ。家を飛び出したから捕まえてって」
「違う、そうじゃない」
なんで、あたしがこんな目に遭わなくちゃいけないの。
今更自分の手足が震えているのに気がついて、我慢ならなくなった。
「あたしに構わないでよ!」
何を勘違いしたのか、頭をかきながら武流は言った。
「いや、でも、一応イイナズケだし」
空気を切り裂くような振動が響く。
いつのまにか彼の頬をぶっていた。
きょとんとした表情で、ゆっくりとぶたれた頬に手を当てる。叩かれた頬が赤く染まっていく。
「痛い」
ぽつりと、怒るでも叫ぶでもなく武流は呟く。
「そりゃそうでしょうね。っつーか、あたしスキなヒトいるし。大体、なんでそんなに受け入れ態勢いいのよ」
叫んでから喉が痛くて、ゴッホゴホと咳き込んだ。あたしの背中をさすりながら、武流は呟くように言った。
「いや、だって。オレ、記憶あるもん」
思わず、振り返って背中をさすり続ける武流を見た。
「……え」
「だから、桓武の記憶。オレ、持ってるんだわ」
「妄想」
「じゃなくってww」
言葉もない。
どう返せと。
なんと言っていいのか分からず、もうなんかよくわかんないけど泣きそうになった。
「もう……ちょっと一人にして!」
思い切り駆け出した。
「おい! だから危ないんだって」
彼はあたしを追ってきた。
(絶対に撒いてやる)
雨の中ぼやけた視界の中で、誰かの肩とぶつかって顔を上げた。
クラスメートの雪水結花が目を大きく見開いて、あたしを見つめていた。
「美遊ちゃん、どうしたの」
結花の目があたしの首もとに止まって、眉をひそめた。
「その首、何!? 真っ赤じゃない」
「結花、かくまって!」
「……え?」
雨はやまない。
やむ、気配もない。

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五月雨の季節には、お気に入りの若紫の蛇の目傘を使う。
傘の下で、天から落ちてくる水の珠を覗き見るのは、すごくキモチイイ。
青々とした緑がぼんやり、夜の明かりにけぶっている。木々が雨を浴びて大きく伸びをしている姿を見るのも、たまらなく背筋がぞくりとする。
駅に近づくにつれて、行き交う人々も増えていく。
ちらりと横を見やれば、隣を歩いている背広姿の男は黄色の蝶。同じ高校の制服を着ている少女は萌葱色の蝶。
羽の模様や色形が少しずつ違うのだけど、揚羽蝶に一番よく似ている。
模様や色だけが確実に違うみたい。
携帯で理名に電話してみたけど、出てくれなかった。今頃、彼女は楽しくアニメを見てる時間だろうし。そんなときは電話なんぞ出てくれやしないんだもん(しかも今日は彼女の大好きなケロロの日)。
人通りの少ない、公園の前を通りかかった。
消えかかっている蛍光灯。
軋む。
ギリギリとした圧迫感。
耳が痛くて、思わず耳に手を当ててふさぐ。
痛みに、指に力が入る。
食い込んだ爪のギリギリとした感触に、ようやく自分を保てる。
蝶があたしの顔の前で飛ぶ。
まるで守ろうとしてくれてるみたい。
(華奢なくせに、アンタじゃあたしを護れないよ)
にゅるり。
木々の影から、白い手が出てきた。血管が青く浮きだっている。
爪には固化した血の黒と泥が食い込んで、髪の毛が数本、指にもつれていた。
声が上げられず、ただ呆然とそれを見つめる。
傘が足元に落ちた。水がはねる。
手が伸び、首筋をとらえる。
指に入った力は、強いなんて感じる暇もなくただ熱かった。ふれられているところが火傷しているようで、骨がきしむ音が聞こえるような気がした。咳き込んでいつのまにか涙が出る。雨が顔にぶつかるように落ちてくる。いっそう強くなる雨は、まるであたしを敵視しているみたいだ。
その時。
蝶が銀色の光を撒いた。
目が眩むような光になって輝く。思わず、強く目を瞑った。
気を失いそうになった瞬間、鈴が鳴るような笑い声が聞こえた。子供の声。
―――私の名前を、忘れているようだね
耳ではない。頭に、直接響いてくる音ではない振動。
気が狂いそう。頭がズキズキする。
―――近いうちに、私の『手』がお前に呪いの印をつけるだろうよ
(誰か……!)
「美遊!」
武流の声がした。
パン!
小気味いい音がした。鎖が弾けたような、さばさばとした音。
途端に体から圧迫感がなくなった。ゆっくりと目を見開くと、手はなくなっていた。あたしはようやく、自分が武流の腕の中にいることに気がついた。
「ちょ!」
武流を突き飛ばすと、思った以上に飛んだ。
「あちゃ」
蝶がやさしくあたしの手の甲にとまる。
冷汗が首筋を伝って、鎖骨のあたりにまで流れていた。
バッグから手鏡を取り出し、ハンカチで汗をぬぐおうとして、気がついた。
首が真っ赤に腫れ上がっていた。
背筋がぞくりとした。
あれは夢じゃないし幻覚でもない。
本当に、殺されかけた。
「なんで」
声を出すと、喉が痛い。
「あ、うん。茉莉に聞いたんだ。家を飛び出したから捕まえてって」
「違う、そうじゃない」
なんで、あたしがこんな目に遭わなくちゃいけないの。
今更自分の手足が震えているのに気がついて、我慢ならなくなった。
「あたしに構わないでよ!」
何を勘違いしたのか、頭をかきながら武流は言った。
「いや、でも、一応イイナズケだし」
空気を切り裂くような振動が響く。
いつのまにか彼の頬をぶっていた。
きょとんとした表情で、ゆっくりとぶたれた頬に手を当てる。叩かれた頬が赤く染まっていく。
「痛い」
ぽつりと、怒るでも叫ぶでもなく武流は呟く。
「そりゃそうでしょうね。っつーか、あたしスキなヒトいるし。大体、なんでそんなに受け入れ態勢いいのよ」
叫んでから喉が痛くて、ゴッホゴホと咳き込んだ。あたしの背中をさすりながら、武流は呟くように言った。
「いや、だって。オレ、記憶あるもん」
思わず、振り返って背中をさすり続ける武流を見た。
「……え」
「だから、桓武の記憶。オレ、持ってるんだわ」
「妄想」
「じゃなくってww」
言葉もない。
どう返せと。
なんと言っていいのか分からず、もうなんかよくわかんないけど泣きそうになった。
「もう……ちょっと一人にして!」
思い切り駆け出した。
「おい! だから危ないんだって」
彼はあたしを追ってきた。
(絶対に撒いてやる)
雨の中ぼやけた視界の中で、誰かの肩とぶつかって顔を上げた。
クラスメートの雪水結花が目を大きく見開いて、あたしを見つめていた。
「美遊ちゃん、どうしたの」
結花の目があたしの首もとに止まって、眉をひそめた。
「その首、何!? 真っ赤じゃない」
「結花、かくまって!」
「……え?」
雨はやまない。
やむ、気配もない。

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